クライネス・コンツェルトハウス
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評論家 渡辺和彦氏による推薦文

フィビフとドホナーニ。後期ロマン派の秘曲を聴く              

 これは爛熟期の後期ロマン派音楽の残り火のような秘曲を2つ録音・紹介した、ほんとうに貴重なアルバムである。
 少しだけ言葉の補足が必要だろう。フィビフ(日本ではこれまでドイツ語読みで”フィビヒ”で通っていた)は、全4集376曲におよぶピアノ小品集「気分、印象と思い出」(作品41、44、47、57として分冊で出版)によって知られているということになっているが、実際にはその中の第139番(作品41ー139『ジョフィン島の黄昏』)を編曲したヴァイオリンとピアノのための「詩曲」ただ1曲によって、日本では主に古い年代のヴァイオリン・ファンに名前が記憶されているチェコの作曲家である。ただし「ヤン・クーベリック編曲」となっているこの楽譜は入手が難しいため、若い世代のヴァイオリニストはまず弾かないし、それ以上に「フィビヒの詩曲」も「ヤン・クーベリック」も、もう知らない世代のほうが多くなった。
 ドホナーニも、「ブラームスの影響を強く残すハンガリーの保守的な作曲家」くらいの認識しかもたれていない。しかしドホナーニは1960年まで生き延びた人であり、ハンガリーの社会主義政権を嫌って1949年に渡米、「アメリカの作曲家」になったとはいえ、「遅れてきたロマン主義者」で片づけられる存在ではない。近年はオーケストラ作品のほか、ピアノ五重奏曲ハ短調作品1(1895)とチェロ・ソナタ変ロ短調作品8(1899)、そして何よりも弦楽三重奏曲ハ長調「セレナード」作品10(1902)が室内楽公演で頻繁に演奏され、一般的な知名度が高くない割に、弦楽器の演奏家には大切な作曲家として扱われている。
 フィビフ、ドホナーニ。それぞれが生きた時代には隔たりがあるが、ブラームス、ブルックナーに代表される旧オーストリア・ハンガリー二重帝国内の爛熟したロマン主義音楽の強い影響下にあった作曲家である。主要作品を耳にすると、ふたりとも「チェコ」「ハンガリー」の要素よりも、「ドイツ語圏の後期ロマン派音楽の後継者」の顔のほうが大きい。

このふたりの作品は、近年少しずつ復活している。ドイツの楽譜出版社が2000年ころから、フィビフの複数の交響曲を含むオーケストラ作品のフルスコアを、リプリントの形で大量に復刊中。またドホナーニは主にアメリカ時代の記録(ピアニストとしての録音、公演記録そのほか)やハンガリー時代のものを中心としたピアノ曲集の楽譜が、復刻・絶版を繰り返している。また主要作品を収録したCDは、もうかなり多い。

 クライネス・コンツェルトハウスによる今回の録音は、フィビフ、ドホナーニの文字通り秘曲を演奏・収録している。彼らは両作品とも、これまで東京だけでも何度かステージで採り上げている。フィビフは絶版中の楽譜を特別にチェコから取り寄せて2003年2月9日、東京文化会館で披露。ひょっとしてこれがこの曲の日本初演だったかもしれない。そして2008年7月25日に、同じ場所で再演。ドホナーニのほうも、2001年2月6日と2008年7月25日に演奏。しかも彼らは、たとえばフィビフのピアノ四重奏曲ホ短調作品11であるとか、ドホナーニの前記「ピアノ五重奏曲」「チェロ・ソナタ」などを、ドヴォルザークやブラームス、R.シュトラウスなどの室内楽曲と同様に、これまでも何度プログラムに乗せていて、この時代の室内楽作品演奏のプロといえる。

 今回の録音は、クライネス・コンツェルトハウスの大きな魅力であるヒートアップ寸前の爆発や高揚感よりは、むしろ、珍しい作品をていねいに、曲の姿を正しく伝えるべく再現する努力のほうに力点がおかれている。録音で接するには、こちらのアプローチのほうが正解で、しかも作品のもっている熱さ、皮肉やユーモア(ドホナーニはひょっとして楽章順にブルックナー、ブラームス、レハールのパロディ、でなければオマージュだろう)は明確に伝わってくる。2001年の実演時、ドホナーニ作品の終結部で、聴衆から爆笑が巻き起こったのも懐かしい。

 珍しいが埋もれてはいけない作品が、それを再現するに最もふさわしいチームによって正しい形で記録に残された。このアルバムのもつ意義は大きい。


◆ ズデニェク・フィビフ(1850-1900) :
      ピアノ五重奏曲 ニ長調 作品42

スメタナ、ドヴォルザークに続くチェコ国民楽派の旗手に位置づけられているフィビフの名は、一部のピアノ曲マニア以外にはほとんど知られていない。だが彼の作品に接すると、次から次へと展開される美しいメロディーと高揚感、そしてチェコ音楽独特の透明感に魅了される。
チェコというモーツァルトやベートーヴェンも活躍し、多くの音楽家達が闊歩した豊かな土壌。フィビフは音楽が自分達の言葉となり血肉となって民族の独立を促すほどの勢いとなった19世紀後半のただ中に生きた。その上彼は「国民楽派」に一括りにできるようなドメスティックな存在ではない。ボヘミアの地方都市に生まれながら9才でウィーン、13才でプラハ、15才でライプツィヒ、18才でパリ、19才でマンハイムに学んだ。それはシューベルトからシューマンそしてワーグナーへのウィーン・ドイツ系の流れと、さらにフランス音楽のエッセンスをも身につけた作曲家であることを意味する。帰国後はプラハの音楽界の中心で活躍した。
この五重奏は、ホルン(木管と金管の顔を併せ持つ)、クラリネット(木管)、ヴァイオリンとチェロ(弦楽器)そしてピアノ(鍵盤楽器)という、欲張りな音色の可能性を持った意欲作である。この様々な組み合わせを駆使して、フィビフは思う存分生き生きした音楽表現をしてみせた。
フィビフ42才の大恋愛の最中に書かれ、ロマン主義の19世紀らしい情熱的で私的な世界が描かれるこの曲は優しく呼びかけるように始まる。フィビフ自身の自画像である第1楽章。続いて恋人アネシュカであるおおらかで女性的そしてミステリアスな第2楽章。第3楽章は激しく逞しいフィビフを表すスケルツォ部分と、アネシュカを表わす2つの中間部分とが対比される。1つめがホルンとヴァイオリンによる歌、2つめがチェロとクラリネットによるエキゾチックなポルカで、それぞれピアノと共に奏でる「トリオ」という凝り方である。第4楽章は勝利感に満ち、高らかな讃歌。これを国際的な洗練と最先端の作曲技術が支えている。現代では望むべくもない豊かな時代を味わえる何拍子も揃った佳曲である。

◆ ドホナーニ・エルネー (1877-1960) :
       ピアノ六重奏曲 ハ長調 作品37

チェコのお隣の国ハンガリーも、音楽的土壌という点では決して負けてはいない。シューベルトやハイドンらが行き来し、強烈な国民性と豊かな民族音楽を誇るこの国にドホナーニは生まれた。彼の経歴もフィビフにひけをとらない。ドイツの影響が強かった当時、あえて外国に行かず母国ブダペスト音楽院で学び、年下のバルトークやコダーイ等の愛国心を触発した。17才で自作のピアノ協奏曲を演奏してロンドンデビュー、国際的ピアニストとして名声を博す一方ベルリンで活躍、後にブダペストの音楽界の中心となる。
若くしてブラームスに認められた彼の作風はドイツ・ロマン派の色濃いが、最先端をゆく国際的知識人として、次の世紀を古いシステムで乗り切ることはできないと自覚していた。より前衛的なバルトーク等の後押しをするとともに、自らの作品は壊れたロマン派音楽に変わっていった。それはたった四半世紀の違いでフィビフの迷いのなかった時代とは一線を画す、世紀末と混迷する20世紀の宿命である。彼の人生も20世紀的だ。ナチス旋風に耐え、大戦後までブダペストに留まり音楽界に尽くしたが、晩年はファシズムを逃れアメリカに渡る。
この六重奏曲はフィビフの編成にもう一本弦楽器ヴィオラが補強され、響きは重厚さとふくらみが増す。楽曲構成も同じ4楽章。雄々しく劇的に始まる第1楽章は安定と幸福感を求め続けるが、許されるのはつかの間の平安だけである。「間奏曲」と題された第2楽章は、不穏な世界を逃れ、羽を休める気分に似ている。美しく静かな世界は仮の姿であり現実から逃れることはできない。クラリネットの穏やかなテーマで入る第3楽章は、ハンガリー風の二つの中間部をもつ。当時おきまりの循環形式で、曲の冒頭のテーマが戻ってきて第4楽章に抜け、くりひろげられる躍動するテーマは変化に富み、第1楽章のテーマは英雄的となって回帰し、壊れたワルツも踊られるという世紀末カーニバル。この曲の結末は、自作の空中楼閣に対するドホナーニの自嘲の笑いだ。21世紀となった現代、ドホナーニの模索はいまだ解決をみず、私たち自身の問題として持ち越されている。

解説 ヴァイオリニスト 三戸素子

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